ホールで用意された食事は豪勢でしかも味も絶品であった。

「あら随分と美味しいですがコックでもいらしたんですか?」

「いえ、私がお作りしました。お口に合えばよろしいのですが」

「いえ、大変美味でございました」

朗らかに言うルビーさんに対して秋葉は・・・いや、秋葉を含む八人はただひたすらルビーさんとサファイアさん・・・の間に座る俺に剣呑な視線を向けていた。

何でこうなったのか?理由は簡単だ。

まずホールに着くと俺は問答無用に上座に座らされ、その間を二人が挟む様に座り俺に料理を甲斐甲斐しく用意してくれているのだ。

「それにしても・・・」

秋葉が怖い笑みをつくり今度はサファイアさんに言葉を向ける。

「随分と彼と親しい様子ですが、何処でお会いしましたでしょうか?」

「はい・・・彼とはシキの事でしょうか?」

「そうです」

「はい・・・彼とは二・三年前でしょうか?たまたま当館をお尋ねされた時にお会いになりました・・・」

「そして・・・シキは私とお姉様の全てを愛してくださりました」

室内の空気が凍て付き始めた・・・

「へ、へえ・・・ですが重婚はここでも法律違反だと思いますが・・・」

「大丈夫です。私達シキの愛人でも何でも良いんです。ただ彼の傍らにいれば・・・ねえサファイア?」

「はい、お姉様」

にっこりと危険な発言を繰り返す二人。

それに対して殺意が許容範囲をオーバーした感の有るアルクェイド達八人。

(いっそ失神してくれれば・・・)

半ば本気でそんな事を考えた瞬間、後ろから何か違和感を覚えた。

「!!!」

俺は本能で立ち上がり、後ろにある・・・窓を開く。

だがそこは闇だけで何も無い。

この屋敷のものと思われる中庭があるだけで・・・

「どうかなさいましたか?シキ」

「いや・・・ところであの中庭はこの屋敷の?」

「はい、父が良く手入れをしていました父自慢の中庭です。それが何か?」

「い、いや・・・何でもありません」

「お姉様思い出さない?私達あそこでも・・・」

そう言って頬を赤らめるサファイアさん・・・

だからそれは止めてくれ・・・

「ええ・・・そうだったわ・・・」

「い、いや、二人とも・・・改めて言いますが俺は・・・」

俺の台詞はテーブルからの盛大な音で阻まれた。

俺達が振り向くと秋葉達が席を蹴っていた。

「どうもごちそう様でした。私達は部屋に戻らせて頂きます」

秋葉がそれだけ言うとホールを後にした。

他の皆はただ無言でその後に続く。

全員俺をきっと睨み付けて。

「あら?皆様どうされたのでしょうか?」

「さ、さあ・・・」

サファイアさん・ルビーさんは互いに首を傾げるが俺の方はそれどころではなかった。

「あっ俺もごちそう様でした」

俺もそれだけ言うと、ホールを後にした。

その時俺にもう少しだけ落ち着きがあれば見れたかもしれない。

二人の何かを嘲笑うかのような笑みを。







(志貴・・・感じたか?)

(はい、一瞬でしたが確かに感じました。あれは遺産の・・・『凶夜』の気配・・・)

俺は部屋に戻らずそのまま真っ直ぐ中庭に向かった。

そこは静まり返っているただの中庭、何の変哲も無い。

「どう言う事だ?」

(判らん、しかし、あの感覚間違える訳が無い。志貴ここが当たりなのは間違い無さそうだ)

俺は静かに頷く。

(取り敢えず皆の所に戻りましょう。またなんて言われるか判りませんが)

(そうだな。遺産の事を話せば落ち着きを取り戻すさ)

そう言いあって俺達は中庭を後にした。

それがとんでもない間違いとも気付かず・・・







俺が部屋に戻った時俺を迎えたのは八発の平手打ちだった。

「!!な、何なんだ!!」

「・・・ご自分の胸の内に聞いてみたら如何ですか?兄さん」

秋葉の冷たい声が部屋に響き渡る。

「な、なんだって?」

(志貴様子が変だぞ)

鳳明さんが囁く。

「とぼける気ですか?志貴、貴方がそこまでみっともない真似をするとは思いませんでした」

シオンが俺に冷たい視線を突きつける。

「な、なんだって?」

おかしい。

何かおかしい。

全員の視線が先程と比べても更に険しくなっている。

いや、何人かは間違いない嫌悪の色すら伺える。

「志貴、本当に仲が良いんだねあの姉妹と」

「なんだと?どう言う事だ?アルクェイド」

「まだしらを切りますか?七夜君、私達は見たんですよ。この眼ではっきりと」

「だから何を!!」

「志貴様とあの姉妹が・・・」

「食堂で愛し合っているさまを」

「何だって!!!」

俺は絶句した。

「ちょっと待ってくれ!!俺はお前達が食堂を出た直ぐ後であそこを後にしたんだ。そんな事が出来る筈がない」

そう、俺はあの後直ぐに食堂を出た。

「何を嘘を言っているんですか?兄さん。私達は食堂を出てからずっと兄さんを待っていたんですよ」

「なに?」

「ですが暫く立っても志貴さんは出てきません。そこで私達が見てみたら志貴さんはあの姉妹を抱いておりました」

「何だと?」

そ、そんな馬鹿な・・・何故いない筈の俺が初対面の二人を何故抱かなくてはならない・・・

それに・・・俺も急いで出たがそんな人影はなかった。

何よりも気付けば俺から声を掛ける筈だ。

しかし、現実としては俺はそんな人影など見なかった。

いや、賭けても良い。

あの時廊下には人っ子一人だっていなかった。

しかし、全員の視線はとても俺をからかうと言ったものは見えない。

そうなれば皆が・・・

「私・・・信じていたのに・・・」

涙混じりの声で沙貴が呟く。

その声に俺の思考は途切れた。

「沙貴?」

「私・・・兄様はそんな事絶対しないと信じていたのに・・・馬鹿・・・馬鹿・・・兄様の馬鹿ぁぁぁぁぁ!!!

最後には絶叫して沙貴は泣きながら俺を部屋から押し出してドアを閉める。

「おい!!俺の話を聞け!!!」

「もう兄様の顔なんて見たくない!!!」

「そうよ!!あの姉妹の所に行って来れば!!!」

それ以降俺がいかに呼びかけようとも中の皆は声すら掛けてくれなかった・・・







(どう言う事だ?俺が食堂であの二人を抱いた?)

俺は皆の説得を一旦諦め食堂に向かう事にした。

皆の話にはどうしても納得がいかない事が多過ぎる。

俺は皆が出た後直ぐに食堂を後にして、中庭に向かった。

食堂から俺達の客室と中庭は途中まで同じ道を通る。

皆の話では俺を問い詰める為に食堂のドアの近くで待ち伏せていたらしいが、俺はそんなものは見なかった。

いや、いれば必ず遺産の事を話した上で中庭に向かうであろう。

しかし、現実として俺は誰にも会う事など無く、皆は俺を待ってもいない。

しかし、皆は食堂の中で俺が姉妹を抱いていたと声を合わせる。

ともかく、この原因を何としても確認しなければならない。

自分達が遺産の近くにいると判った以上このままでは皆に被害が及ぶ可能性がある。

焦りの気持ちを抱きながら俺は食堂に再び入る。

既に料理は片付け終えており、サファイアさんとルビーさんはここにいない。

俺は一つ一つ席を確認するが何の変哲も無いただのテーブルと椅子だ。

下まで調べるが変化など無いある筈が無い。

「ふう・・・やはり異常無しか・・・」

溜息を一つ吐き立ち上がろうとした時

不意に

眼鏡が

外れた。

どうやら眼鏡が机の縁に当たったようだ。

「あっ・・・れ?」

俺は眼鏡を取ろうとして硬直した。

風景が一変していた。

あれだけ清潔で明るい食堂が所々崩壊した薄暗い廃墟と化していた。

(志貴?どうした?)

「鳳明さん・・・これは一体・・・」

(一体何が・・・なんだこれは?)

「こ、この光景は俺の気のせいでしょうか?」

(心配するな。俺の眼にもそう見える。志貴と繋がっているからな・・・どうやら志貴の淨眼の位が上がったようだな)

「淨眼の?」

(ああ、元々志貴の眼は真実を見極める淨眼だった。一度の臨死を経験して『直死』に目覚めたが淨眼が消えた訳ではない。今の志貴は魔眼の呪いや幻惑も打ち破れる程のものに成長したようだ)

「ですが・・・俺は淨眼の訓練なんてした覚えがありませんよ」

(おそらく籠庵との闘いがきっかけだ。夢での闘いとはつまり精神上の死闘。それによって志貴の精神が鍛えられ淨眼が飛躍的に高められたんだろうな・・・さて・・・)

ここで鳳明さんが口を噤む。

「・・・」

俺は無言となる。

そのまま、眼鏡を掛け直すと光景が偽りに戻された。

初めから気付くべきだった。

いや、初めでなくてもあの時気付くべきであった。

あの時俺が感じた『凶夜』の気配は後ろにいたのではない。

『凶夜』は初めから俺の周囲にいたのだ。

幻想によって作り出された偽りの屋敷、偽りの光景・・・そして、おそらくは偽りの姉妹・・・

(志貴あの姉妹は中庭にいる)

「・・・行きましょう鳳明さん」

俺は静かに中庭に歩を進めた。







月明かりだけが照らす中庭にはサファイアさんとルビーさん・・・いや・・・サファイアとルビーがただ佇んでいた。

俺の気配に気付いたのか二人は喜色を満面に浮かべて振り返る。

「シキ・・・」

「どうされたのですか?」

二人の温かい声に俺は自分でも出せる事が出来たのかと思えるような冷たい声で返した。

「・・・もうお芝居は結構ですよ」

そう俺は心の底から怒り狂っていた。

それでもその怒りを押さえ込めるほどの冷徹さが俺の暴発を防いでいた。

一方俺の言葉を聞いた瞬間、二人は俯いてしまいその表情を窺う事は出来ない。

「・・・何処で判ってしまったの?」

やがてサファイアがそう尋ねる。

気のせいだろうか、その響きが寂しげなものに聞こえた。

「眼鏡を取った瞬間にな」

それでも俺の怒りは収まらない。

またもや素っ気無く俺は事実のみを伝える。

「そう・・・そう言えば貴方は籠庵翁と闘っていたのよね・・・この様な事態は想定しておくべきだったわ・・・」

ルビーが寂しげに呟く。

「やっぱり私達には分不相応の夢だったのかしら・・・ただ穏やかな日々を過ごしたいというのは・・・」

「でも覚めてしまった以上私達は責務を果たさないといけないわよね姉上」

「ええ、その通りよ『神』のご加護を受けた者として」

その言葉と同時に二人の姿が急速に変貌を遂げ始めた。

いやその表現は適切ではない。

彼女達の姿は薄れその後には黒髪の同じ顔立ちの女性がいた。

一方は真紅の、もう一人は紺碧の着物を身に纏っていた。

「改めまして、お初にお目にかかります七夜志貴、七夜鳳明。私の名は七夜紅玉」

「妹の七夜青玉と申します」

「そうか・・・紅玉だから『ルビー』、青玉で『サファイア』か・・・ん??」

良く見ると紅玉と青玉の周りには闇に包まれた蝶が燐紛を撒きながら飛んでいる。

「ありがとう。もう良いわよ」

「ええ、貴方は少し休んでなさい」

その言葉と共に蝶は二人の元を離れ中庭から消えていく。

「なるほどな・・・あの蝶が俺達に幻覚を見せていたんだな」

「はいご明察の通りです」

「あの子の仲間達があの屋敷をくまなく覆っておりますので」

なんでもない様に二人は語を繋ぐ。

「それにしても・・・今回は四番目と五番目の遺産が集まっていたと言う事か?」

すると俺の台詞に一瞬キョトンとした表情を浮かべるとくすくす顔を見合わせて笑い始めた。

「何がおかしい?」

「申し訳ありません。その様なご指摘を受けるとは思いませんでしたので」

「私達は二人で始めて一つの遺産となるものですから。ご存知でしょう『凶夜』の歴史上極めて珍しい事例が存在する事を」

「何だと?じゃあお前達が『二重凶夜』だと?」

「それは正確な言葉ではございません」

「私達は二人揃って始めて『凶夜』の力を発揮できる半端な者。それ故に受けた称号は『双子凶夜』

「もうお判りでしょう?私達はそれぞれが『凶夜』ではございません」

「私達が二人揃って始めて『凶夜』となるのでございます」

そういう事か・・・この二人が揃って一つの遺産となると言う事か・・・

「そうかい・・・だがな・・・あんた達のやった事は到底許す事は出来ない。どういう事情があるにしろその代償は受け取ってもらうぞ」

俺は静かに『凶断』・『凶薙』に手を掛け眼鏡を外す。

「そうですね。私達も謝罪を口にする気はございません」

「この様な事態となった以上私達も己の能力を使い貴方を葬りましょう」

その言葉が引き金となったかのように中庭全域が重く絡みつくような瘴気と殺気に支配された。

「こ、これは・・・まさか遺産は・・・」

「そうこの中庭・・・いえ、箱庭こそ私達の寄り代」

「私達の唯一つの楽園、遺産『異なる世のモノ達が戯れる箱庭』

次の瞬間魔の空気が充満したと見るや見た事の無い奇怪な昆虫がぞろぞろと地面や空中から湧き上がってきた。

「何!!」

「うふふふ、別に怖がったり気味悪がる事なんて無いわよ」

「ええ、この子達とても素直な良い子達なんですから」

そう確かにあの昆虫達は俺に敵意と殺意を向けているのに対して姉妹には子供の様に甘えてくる

(ちっ、志貴気をつけろ。二人の能力は『異世界生物の召喚』だ。あれらは異世界の魔に該当する生物・・・)

(はいわかっていますよ)

「本来でしたらもう少し貴方と『八妃』との絆を引き裂いてから事に当たりたかったですが・・・」

「貴方に地獄をこれよりお見せしましょう」

それを号令とするように待機していた虫が一斉に俺に襲い掛かってきた。







時は少し戻る・・・志貴を追い出したアルクェイド達は未だに屈折した空気の中にあった。

「・・・」

全員が重い沈黙の中にいる。

そう全員未だに信じる事が出来なかった。

あの食堂の光景を。

しかし、現実には全員見た。

ルビー・サファイアの姉妹を愛しげに抱く志貴の姿を。

現実に耳にした。

その最中の二人の会話の断片を

「・・・愛している・・・も・・・も・・・二人とも」

「私も・・・愛している」

「私だってお姉様と同じ位に貴方を・・・」

気が付けば全員部屋に戻っていた。

あの部屋に入ろうと思わなかった。

それをしてしまえば決定的なものを失いそうな気がしたから・・・

信じられなかった。

信じたくなかった。

しかし、現実は全てを裏切っていた。

でも・・・

そんな思考が悪循環となってドンドンと落ち込んでいく中沙貴が立った。

「??沙貴何処に行くの?」

「少しお手洗いに」

「そう・・・」

沙貴に目もくれず再び自身の考えに没頭する七人・・・と思われたが今度はシオンが立ち上がった。

「すいません私も少し外の空気を吸ってきます」

「ええ、気をつけてシオン」

その言葉で沙貴とシオンを送り出す。

「沙貴」

「あっ・・・シオンさん・・・」

「やはり志貴の事を確認してくるのですか?」

「はい・・・私どうしても信じられないんです。兄様があのような事をしているなんて・・・それに・・・」

「それに?」

「これは・・・気のせいかと思うのですが・・・あの様子に少し違和感を感じたんです」

「違和感?」

「はい・・・なんと言えばいいのか・・・映像と言うか・・・現実ではない薄さを感じたんです」

「貴女もですか・・・」

「ではシオンさんも?」

「はい・・・ですがどちらかと言えばその希薄な空気はこの屋敷全域から感じます」

そう言いながら沙貴とシオンは食堂に向かう。

やがてその扉を開けるとそこは自分達が出た後とまったく変わらない食堂・・・

「やはり何もありませんか・・・となると志貴は本当に・・・」

寂しげにシオンは呟く。

しかし、沙貴はある一点のみを見つめていた。

「シオンさんおかしくありませんか?」

「??何がですか?沙貴」

「丁度ここで兄様と、あのお二人は抱かれておりました」

「ええ、おそらく終わった後、掃除でもしたのでしょう。綺麗に・・・??」

そこまで行ってシオンははたと気付いた。

綺麗過ぎると・・・

「おかしいですよね。幾ら後始末したとしても痕跡が皆無と言うのは」

「確かに・・・この床は絨毯が敷かれている以上痕跡を拭ったとしても跡は確実に残ります・・・」

「そうなるとあの希薄さも説明できます」

「あれは映像と言う事ですか?」

「若しくは幻惑」

「では沙貴はあの姉妹が・・・」

「おそらくは遺産・・・」

「どうしますか?」

「彼女達を探します。こうなったら私が遺産を葬ります。シオンさんはこの事を皆さんに」

「危険です沙貴。貴女も『凶夜の遺産』の恐ろしさを身に沁みている筈」

「それでも!!・・・私・・・兄様に酷い事を言ってしまったし・・・こんな事でしかお詫びできないから・・・」

泣きそうになる寸前の沙貴にシオンも沈痛な声でこう言った。

「それなら私も同罪です。志貴の言い分を聞かず志貴を信じ切れなかった私にも・・・いえ、真祖を含めた八人全員が同罪です」

「シオンさん・・・」

「秋葉達を呼びましょう。私達で協力して事に当たれば勝機も見い出せます」

「はいっ!!」

シオンの言葉に励まされたのか一転して笑顔となった沙貴はシオンと共に部屋に駆けていった。

しかし・・・なんと言う皮肉であろうか?

二人が部屋を出た僅か数分後、食堂から一望できる中庭から真紅の光が瞬いた。

志貴と紅玉・青玉の闘いの幕が上がったのだ。

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